Will robots inherit the earth? Yes, but they will be our children. (Marvin Minsky)

先日、AlphaGoが4対1で李世ドル氏に勝利したニュースは大きな話題になりましたね。

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これまでチェスや将棋でも「人間VS人工知能」の構図で勝負が行われ、その結果に一喜一憂するニュースが多かったですが、私は広くAI研究の成果が浸透していくためには、AIに対する意識改革が伴わないと難しいと思います。

 

一般的(と思われる)認識として、AI研究が発展するのは良いことだけど、人の職が奪われたり、ターミネーターのSkynetの世界になってしまうかもしれない、という何か「負」のイメージも一緒につきまとっているような気がします。

もちろん、倫理や道徳を配慮せずに、どのような技術発展も全肯定で研究開発をすすめるのは怖いことなので、肯定と否定の意見が混在している状況は良いことだと思いますが、こと「AI」に関しては、SF系の映画やドラマ、マンガや小説のイメージがだいぶ影響していて、現段階の技術レベルおよびベクトルと社会の認識がけっこうズレてるんじゃないのかなと思っています。

 

今のところ進んでいるベクトル的には、「2001年宇宙の旅」のHALのような存在ではないでしょうか。現段階でもあそこまで柔軟な対話は実現できていない(と思う)ので、当分はSF界隈で語られているようなことは起きないと思います。(後半の自我の獲得or反逆?のところなんか、この知能をデザインできたら面白いだろうなあって思いますw)

―もちろん、音声認識音声合成の技術は大きく進歩し、対話技術も進化しましたが、「柔軟な」というのがやっかいで、トピックも定めず、誰と会話するとも定めず、どんな環境下でもOK、というのはかなりハードルが上がってしまいます。
汎用性を持たせることは非常に難しい、というのは音声界隈だけでなく、画像認識、ロボット制御、そして広げれば汎用人工知能も大変困難な課題です。

 

タイトルは先日亡くなったコンピュータ科学者のマービン・ミンスキーがScientific Americanにて述べた言葉です。

Will robots inherit the earth? Yes, but they will be our children.

氏の思想を表現できるほど私はまだ理解できていませんが、少なくともロボット(人工知能)を外部からやってきた得体の知れない敵と捉えず、人とともに歩める存在と捉えることを望んでいるように思います。

 

私がこの記事で述べたいこととしては、技術が発展することを恐れるのではなく、発展することは前提で、どの方向に向かうか、そしてその技術をなんのために使うか、といったことを考えることが重要に思います。

 

AlphaGoと試合をした李世ドル氏は試合後「学ぶことが増えた」と述べており、開発者のデミス・ハサビス氏も「より高度なスマートフォンのアシスタント技術や医療、翻訳などといった他の分野に応用していきたい」と述べていました。

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私自身も先日アメリカのAI学会(AAAI)で発表させていただき、技術発展の向かう先について考える機会になりました。
さまざまな思想が入り混じった研究開発が世界で行われる中、自分が研究を進めるためには、過去から学ぶことも今を知ることも大事ですが、「どこに向かいたいか決める」ことが非常に重要だと思います。

そのとき、「人間VS人工知能」の構図ではより良い世界には辿り着かないと私は思います。どのようなことにしろ、対立ではなく共生、共に歩む道を考えていきたいですね。